【四つ葉のクローバー】幸福、私のものになってください

ロイは時々、幸福とは何かを考えることがある。己の生い立ちが平凡とは言えなくとも、なんだかんだ恵まれて育ったし、その環境下で得た知識や勘のおかげで今の自分があると自負している。この歳で大佐の地位に就いて、忠実で優秀な部下もできた。その中でも、両親から愛情深く育てられ、友人から好かれ、上官や下士官からも信頼されているであろうジャン・ハボック少尉のことが、ロイにとって幸福の象徴であると言っても過言ではない。
裏表のない性格や立ち居振る舞いは誰にでも真似できることではないし、ハボック自身は頭の悪さを卑下しているが、ロイはそれを補うだけの才能を持ち得ていると一目置いている。実際、先日のテロリスト制圧作戦だって安心して前線を任せられたし、臨機応変にバックアップへ回ることもできた男だ。本人が言うほど、頭が悪いとは思えない。負傷した兵を担いで退避できる体力だってあるのだ、ロイにとってハボックほど実践向きな人間は周囲にいないというくらいには高く評価している。
なんて、年度末の部下の査定表を記入しながら考えていたら。
「……失礼しまーす。あ、良かった、まだ残ってたんですね」
査定中の人物その人が執務室の扉から突然顔を覗かせたものだから、悪事を働いているわけでもないのにロイの心臓は口から飛び出そうになった。まさかこんな時間、といっても遅めの夕食くらいの時刻なのだが、そんな時間に執務室を訪ねてくる人物がいるとは予想していなかったのだ。
「お、お前こそ、こんな時間まで何をしている?」
しどろもどろになりながらも平静さを取り戻そうと、密かに深呼吸を試みる。ハボックの様子を見る限りでは、案外距離があればバレないのかもしれないと僅かに安堵した。
確か今日は、先日のテロ事件がある程度片付き報告書も制作し終えたので一日基礎訓練にしたはず。他の者は日が暮れる前に帰宅したというのに、ハボックは何故この時間まで司令部に残っているのだろう。かくいうロイも、残業という名の査定で書類と数時間睨めっこしていたわけだが。
「はいこれ、どーぞ」
司令部表門にある花壇の手入れをしていて見つけたのだと続けるハボックの掌の上には、一茎のクローバーがあった。よく見ると、小葉が四枚になっている。昔読んだ本によれば一万本の三つ葉のクローバーに対して一本という、発生確率の低いクローバーだったか。いや、実際は五千本に一本の確率に近い調査結果だった気もする。
ところで、なんでまた花壇の手入れなんかを。まあ、きっとハボックのことだから下士官が手入れしていたのを見つけて手伝いを申し出たに違いない。そういう男なのだ、ジャン・ハボックという人物は。
「なんだ、それは」
「なにって、幸運の四葉のクローバーですよ」
そんなものは誰だって見れば分かるだろう。ロイの訊きたかったのはそんな単純なことではない。
「だからどうして私に寄越すのかを訊いているんだ。お前、恋人がいるんだから彼女に渡すべきだろうが」
「とっくに別れましたよ。俺よりもどこかの大佐殿に熱を上げたんだそうです。全く、どこの誰でしょうねえ?」
あからさまにロイのことを指しながら話を進めるハボックに、思わずチームワークの項目への評価を下げてやろうかとも考えたが、思い当たる節があるロイはその衝動を踏みとどまるに至った。
ロイは、ハボックの恋人だと知りながら必要以上に親切にし、笑顔を向け、さも好意があるように接したのだ。ハボックへの仕事を分配するのは自分だったから、仕事に追われ休みの日すら恋人に会えない彼女の寂しさを利用した。もちろん、ロイにハボックから恋人を奪うつもりはない。その行動原理は、ハボックへの悪意ではないし恋人である二人への嫉妬でもない。その理由を、ロイ本人はとうの昔から自覚している。
「ところでハボック少尉。お前は四葉のクローバーの意味をきちんと理解できていないらしいな」
「え? 幸運のお守りですよね?」
「まったく、お前というやつは……」
馬鹿な男だ、という最後の台詞は声にならなかった。声にする必要もないとロイは思ったからだ。なぜなら、そういうハボックの鈍感さというか、純粋さというか、素直で無邪気なところがロイにとっては特別だったから。
「あとで返せと言われても返さんぞ」
受け取ったクローバーにわざとらしく口吻けてみせたが、ハボックには意味が理解できていないらしい。それでいいのだと、そのままでいいのだと、ロイはクローバーで隠れた口元を引き上げて笑った。