【イベリス】心をひきつける、初恋の思い出、甘い誘惑

「そういや大佐の初恋の相手って、どんな子でした?」
「なんだ、藪から棒に」
目の前には山のように積み上がった書類があるというのに、滅多に被らない内勤を口実にして、ロイとハボックは雑談に花を咲かせる。当然ながら、口を動かしつつもペンを動かす手は止めていない。
「初恋、ねえ。そもそも私から好きになることなんて、」
「あ、もうそのあとはいいっス。無駄なダメージ食らいそうなんで」
自分から振った話題を制止させたハボックに対して、ロイは何故か満足そうに笑みを零した。しかしお互いの表情は書類の山に阻まれて見えない。
ハボックは溜まりに溜まった報告書を、ロイはそれを含めた書類への承認サインを記す作業に追われているのだが、速読のロイは書類の中身を斜め読みして可否を出しサインするだけなので、文章を書き連ね続けるハボックよりも圧倒的に仕事が早い。
だから、休憩がてら二人分の珈琲を淹れる。長期戦になる書類仕事の際は必ずと言っていいほど執務机にインスタント珈琲のセットを用意するロイは、類に違わず今回も準備していた。保温効果のあるポッドに湯を入れておけば、珈琲の粉を入れたカップに湯を注ぐだけで簡単に珈琲が出来上がるからだ。わざわざ珈琲を淹れに移動せずに済むのはかなりの時間短縮に繋がる。
「意外かもしれんが、私はこれでも尽くすタイプだぞ」
「あー……、」
「なんだ、その反応は」
「だってあんた、釣った魚には餌やらないタイプでしょ」
一人で飲むのも気が引けるからとハボックの分も珈琲を淹れてやっているというのに、この言われようにはさすがのロイも聞き捨てならなかった。仮にも上官なのだ、上官であるロイが部下のハボックにわざわざ珈琲を淹れてやっているのだ。それを、釣った魚には餌をやらないとまで言われるのは正直、腹を立てても仕方がないだろう。
「大佐自ら甲斐甲斐しく世話するイメージなんてないっスもん」
「おい、だったら今すぐその珈琲を吐き出せ」
インスタントとはいえ、ロイ自らハボックの珈琲を淹れてやるのはかなり珍しい。いつもなら煙草休憩への対価として「先に珈琲を淹れて持ってこい」と命令するくらいなのだ。
「ちなみにね、俺は小悪魔的な子でしたよ。こう、男を掌で転がすタイプの子で」
「……なんなら、この私がお前を尻に敷いてやろうか」
勘弁してくださいよ、とハボックは深い溜息を吐いた。いや、今の立ち位置的にはすでに尻に敷かれているのかもしれない。待て待て、尻に敷かれる云々の前に顎で使われていると言ったほうが正しいじゃないか。
ぐるぐると思考を巡らせているハボックを眺めながら、ロイは少し冷めてしまった薄味の珈琲を口に含む。
「昼前に片付いたら昼飯を奢ってやろう」
ハボックを掌の上で転がすのは、ロイの得意技だった。